いつまで経っても近鉄ファン
2005年10月19日なワタクシでございます。
こんばんは。
さて、昨日のヒミツにも書いたとおり10月19日ですよ。
毎年この日が来ると、最も印象深い試合のうちの一つを思い出します。
1988年(昭和63年)の今日の試合。
近鉄−ロッテというどうしようもない超不人気球団同士の試合が、
どういうわけだか高視聴率を獲得してしまった、
そんな試合でした。
何せ関東では30%強、関西では50%弱の視聴率だったそうで。
平均がこれだったようなので、瞬間最高視聴率ならば、
関西圏では55%くらいまで行った事でしょう。
重ね重ね言うけれど、ロッテ−近鉄ですよ。
しかも川崎球場。
球場の中ですき焼き食べたり、柔道の打ち込みしたり、
ペッティングしているカップルがスタンドにいた川崎球場なんですけどね。
そんな試合なのデスが、これだけの視聴率を獲得してしまいました。
参考までに、この日からみの著作が数多く出版されています。
今でもちょっと大きな書店に行けば、容易に手に入るはず。
しかも、この頃のマスコミさんは気合が入っていたようで、
テレビ朝日は「さすらい刑事」と「ニュースステーション」を潰して、
挙句CMまで一切すっ飛ばしてしまったという、
そんな今のマスメディアで考えれば「暴挙」に及んだそんな試合。
でも、この時期、マスコミさんも大変だったはずなんですよ。
昭和63年10月下旬ですから。
昭和天皇(時の今上天皇)の崩御の瞬間が刻一刻と迫っている時期。
実際崩御されたのは翌1989年1月でしたが。
で、何でこの超不人気球団同士の試合にこれだけの聴衆が酔いしれたのか?
この日、ダブルヘッダーで近鉄が2勝すれば逆転優勝だったから、
それだけの話なのデスが、
小学生ながら強く印象に残っていました。
関東に住んでいた俺にとって、西武の非人道的強さはどうにも受け入れられず。
そんな非人道的強さの西武を打ち砕く唯一の存在が、
遂にその瞬間を迎えようとしていた、そんな一日でしたから。
あ、この時はまだ近鉄ファンはしてなかったんですけどね。
結局、2試合目、延長10回時間切れ引き分けで
勝率差で近鉄は優勝できなかったのですが、
翌年優勝していますから。
その年も印象深いですよ。
この年に関してはプレーオフがあっても、
そんなものなんてやる必要なしですね。
やってたら日本野球機構に火をつけに行きますわ。
3位までゲーム差0.5だから、これでやっちまってはペナントの意味がなくなるし。
参考までに、その次の優勝の時はオレもファンとして酔いしれた、
そんな感じです。
そんな88年から、はや17年ですよ。
あの頃8歳だったオレも、25になって。
この時期近鉄にいた選手で現役やっている選手は絶滅しているはずです。
17年前のこの日にプロ野球界にいて、現役やっている選手も数えるほどだし。
挙句、丁度この日、阪急と南海が球団売ったんですよね〜。
阪急なんか、創業者の言葉を無視して球団売ったんだから、
大したものですよ。
裏を返せば、そのくらい経営が苦しかったって事でしょうが。
結局翌日の一面は球団売却が持って行ってしまったと記憶しています。
時事ネタとしては、この年本四備讃線が開業し、津軽海峡線が開業しました。
要は瀬戸大橋と青函トンネルが出来たって事です。
北海道、本州、四国、九州の全てが陸路で繋がった瞬間。
それが1988年。
プラザ合意に伴う円高不況を抜け出し、まさにバブル経済へと突入して行った、
そんな世情でした。
思えば、この時期は景気がよくて当然なんですよ。
今の団塊の世代が40歳に差し掛からんとしていた年ですから。
そして団塊ジュニアが高校に入るくらい。
人口もまだまだ増加傾向だったし、
消費、支出はひたすら増加する一方でしたからね。
俺の勤める会社も非常に景気が良かったですよ。
あの頃はね。
まさに「飛ぶ鳥を落とす」様な経営状態。
そんな、今とは異なって非常に良い世の中だった1988年。
あれから17年。
俺も会社員になりました。
俺のいる業界も、他業種に比べればマシですが厳しい事に変わりありません。
色々不安だらけな世相ですが、
その中で、今の自分に出来ることを明確にして、
前向きに取り組まないといけないな、そう思います。
こんばんは。
さて、昨日のヒミツにも書いたとおり10月19日ですよ。
毎年この日が来ると、最も印象深い試合のうちの一つを思い出します。
1988年(昭和63年)の今日の試合。
近鉄−ロッテというどうしようもない超不人気球団同士の試合が、
どういうわけだか高視聴率を獲得してしまった、
そんな試合でした。
何せ関東では30%強、関西では50%弱の視聴率だったそうで。
平均がこれだったようなので、瞬間最高視聴率ならば、
関西圏では55%くらいまで行った事でしょう。
重ね重ね言うけれど、ロッテ−近鉄ですよ。
しかも川崎球場。
球場の中ですき焼き食べたり、柔道の打ち込みしたり、
ペッティングしているカップルがスタンドにいた川崎球場なんですけどね。
そんな試合なのデスが、これだけの視聴率を獲得してしまいました。
参考までに、この日からみの著作が数多く出版されています。
今でもちょっと大きな書店に行けば、容易に手に入るはず。
しかも、この頃のマスコミさんは気合が入っていたようで、
テレビ朝日は「さすらい刑事」と「ニュースステーション」を潰して、
挙句CMまで一切すっ飛ばしてしまったという、
そんな今のマスメディアで考えれば「暴挙」に及んだそんな試合。
でも、この時期、マスコミさんも大変だったはずなんですよ。
昭和63年10月下旬ですから。
昭和天皇(時の今上天皇)の崩御の瞬間が刻一刻と迫っている時期。
実際崩御されたのは翌1989年1月でしたが。
で、何でこの超不人気球団同士の試合にこれだけの聴衆が酔いしれたのか?
この日、ダブルヘッダーで近鉄が2勝すれば逆転優勝だったから、
それだけの話なのデスが、
小学生ながら強く印象に残っていました。
関東に住んでいた俺にとって、西武の非人道的強さはどうにも受け入れられず。
そんな非人道的強さの西武を打ち砕く唯一の存在が、
遂にその瞬間を迎えようとしていた、そんな一日でしたから。
あ、この時はまだ近鉄ファンはしてなかったんですけどね。
結局、2試合目、延長10回時間切れ引き分けで
勝率差で近鉄は優勝できなかったのですが、
翌年優勝していますから。
その年も印象深いですよ。
この年に関してはプレーオフがあっても、
そんなものなんてやる必要なしですね。
やってたら日本野球機構に火をつけに行きますわ。
3位までゲーム差0.5だから、これでやっちまってはペナントの意味がなくなるし。
参考までに、その次の優勝の時はオレもファンとして酔いしれた、
そんな感じです。
そんな88年から、はや17年ですよ。
あの頃8歳だったオレも、25になって。
この時期近鉄にいた選手で現役やっている選手は絶滅しているはずです。
17年前のこの日にプロ野球界にいて、現役やっている選手も数えるほどだし。
挙句、丁度この日、阪急と南海が球団売ったんですよね〜。
阪急なんか、創業者の言葉を無視して球団売ったんだから、
大したものですよ。
裏を返せば、そのくらい経営が苦しかったって事でしょうが。
結局翌日の一面は球団売却が持って行ってしまったと記憶しています。
時事ネタとしては、この年本四備讃線が開業し、津軽海峡線が開業しました。
要は瀬戸大橋と青函トンネルが出来たって事です。
北海道、本州、四国、九州の全てが陸路で繋がった瞬間。
それが1988年。
プラザ合意に伴う円高不況を抜け出し、まさにバブル経済へと突入して行った、
そんな世情でした。
思えば、この時期は景気がよくて当然なんですよ。
今の団塊の世代が40歳に差し掛からんとしていた年ですから。
そして団塊ジュニアが高校に入るくらい。
人口もまだまだ増加傾向だったし、
消費、支出はひたすら増加する一方でしたからね。
俺の勤める会社も非常に景気が良かったですよ。
あの頃はね。
まさに「飛ぶ鳥を落とす」様な経営状態。
そんな、今とは異なって非常に良い世の中だった1988年。
あれから17年。
俺も会社員になりました。
俺のいる業界も、他業種に比べればマシですが厳しい事に変わりありません。
色々不安だらけな世相ですが、
その中で、今の自分に出来ることを明確にして、
前向きに取り組まないといけないな、そう思います。
コメント